随筆より。その2
一杯のコーヒーから(昭和52頃「珈琲ふぁん」より)
僕が初めてコーヒーを口にしたのは、小学生のころであった。
当時、大阪に『カフェー』という名の西洋料理店が誕生して、それまでミルクホールで
牛乳とパンで何時間も青春の何時間も青春の夢を貪っていた学生たちを引きつけたものであるが、
僕もここへ連れられていってコーヒーを知ったのである。
コロッケもカツレツやライスカレー、ソースの味も知った。
どうして、小学生がそんな華やいだところへ出入りしたのかというと、
わが家には年頃の姉が二人いて、毎夜、若い男が訪問してきたからだった。流行のボルサリノをかぶり、
ステッキを手に現れるもの、レコードを小脇に抱えてくるもの、英語の単語を矢鱈(やたら)に並べる
舶来かぶれの中年紳士等、いずれも、歯の浮くような連中で、弟たる僕には鼻もちならなかった。
ところが、彼等は「将を射んと欲すれば・・・・」と僕を近くのカフェーに誘い、こどもの喜びそうな
料理をご馳走し、食後はコーヒーを飲むことを教えてくれたのである。
コーヒーには夢があって、渋みの日本茶より、新鮮でエキゾチックな香りがあって、
それが高尚に思えて、ちょっと気取りたくなるような格調があった。
それはチョコレートの味を知った幼児にも似た発見で、あのドス黒い色と焦げくさい中に立ちこめるムードから
飛躍して、働く音楽が天来のひびきに聞こえてくる。
まさに一杯のコーヒーは、僕を泰西の名曲の世界へ引きこんだのである。
グランスヴィック、エオリアン、グラムフォンの魅力に僕は陶酔した。
作曲家としてコロンビアからデビューし、藤浦洸とのコンビで「一杯のコーヒーから」の初期の流行歌を
ヒットさせたのが昭和十三年であった。「一杯のコーヒーから」「モカの姫君」「ジャバ娘」を歌ったのは
霧島昇と松原操であったが、二人は「角砂糖一つ入れましょうか 月の出ぬ間に冷えぬ間に」の歌の詞どおりに
甘い新婚生活に入っていった。
日本のお茶は熱湯を一度さましてからたてるが、コーヒーは熱くないと飲めない。
若い人にはコーヒーが日常欠かせなくなった今日、われわれオールドボーイにも、
いまやコーヒーのない日常生活はあり得ない。娘たちや孫たちが集まると、コーヒーと洋菓子が何よりも楽しい
雰囲気をつくってくれる。
近ごろは、わが家の老夫婦も、ガランとした部屋で、顔つき合わせて飲むコーヒーに人生のほろにがさを
味わい、過ぎた日の思い出話に花を咲かせることが多い。
「一杯のコーヒーから、夢はほのかに香ります」
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