もう、あれから四十数年もたつのだろうか。せっかくの良きチャンスに恵まれ、この一曲によって
レコードの流行歌作りから一躍、NHKのオーケストラ作品を、わけても画期的なラジオ・オペラの
作曲家として、先輩諸賢と肩を並べられる好運に浴する絶好のチャンスなのに。
 昭和八年八月に大阪の無名の一作曲家がスーツケース一つで上京したがNHKに出入りできるなんて、
しかも委嘱作品を書けと命じられた喜びと感激は天にも昇る心地であった。
 若いころから大阪に住んでいた僕は、大阪フィルハーモニック・オーケストラの一員としてフルートを
吹き、指揮者のエマヌエル・メッテル先生には格別にかわいがられていた。
 ある日、マネージャーの岩淵繁蔵氏(ピアノレッスンも受けた人)から「メッテルが、君にハーモニー
を教えてやるから、神戸の自宅へ一週間来るように」とのことだ。
 日頃、オーケストラ練習の時に、譜面台にミニチュアスコアーを置き、指揮者に注目の目を光らせていた
のを先生はご存じだった。「あの人勉強すると良い指揮者になります」とおっしゃったのを聞いて感激した。
そして四年間をリムスキー・コルサコフの和声学、管弦楽法をみっちりと教えられた。
(今日作曲家たるは先生のおかげである。)
 ついにその腕をためす時が到来したのだ。一ヶ月も前から、ラジオ・オペラに取り組んで必死の覚悟
で作曲した。ほとんど徹夜を続けて書き続けいよいよ、十二月八日がその本番の総稽古に当たる。

新聞もラジオも知らず、昨夜で書き終わったスコアとパート譜を抱えて内幸町のNHKの玄関から駆け上がった。
音楽部の『水野のトノサマ』が待ち受けていて、落ち着いた表情で、「服部さん、今日は一体、なんの日だと思っていますか。」
一瞬、僕は遅刻したので叱られるのかと思った。
 音楽部の長身端正な殿様風の水野忠恂氏は江戸時代の大名で水野家の末裔の子爵であるところから、みんなが
「水野のトノサマ」と愛称していた。
「なんの日って、桃太郎の放送日でしょう。」僕はふざけ気味に言った。
「服部さん、あなたは今朝のラジオ・ニュースを聴かなかったんですか。」
「ニュースなんか、ここ四、五日聴いていません。聴く時間がなかったんです。」
 トノサマは天を仰いで慨嘆した。
「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり、これが今朝から繰り返し放送されている
臨時ニュースです。」
 僕は、全身から血の気が引くのを覚えた。
「アメリカ、イギリスと日本はついに戦争を始めたのですか。」
「さよう、従って、今日は娯楽放送一切が取りやめになりました。」
「取りやめ。」
弟子の原六朗が頓狂な声をあげた。無理もない。ここ一ヶ月はほとんど不眠不休の徹夜つづきで目が腫れ上がっている。
「本当に取りやめなんですか。それでは、いつ放送になるんでしょうか。」
「さあ、日本が勝つか負けるか、どちらになるかね。」
トノサマのご威光も軍の監督官の前には無力のようである。

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