大正11年1月

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1月7日(土曜日) 晴天

不愉快で不愉快で朝から運の悪い事ばかりだ、表のしめ縄がいつの間にか腕白連の手によって取り落とされている。筋向かいの家のはきれいに櫛柿だけ取ってある。北風びゅうびゅうと吹きすさんで学校でも鉛筆がうまく動かぬと思うばかり。

1月8日(日曜日)

例年ならば今日から学校へ行くべきではあるが今年は1日儲かったの舌鼓を、自転車に当たって大変着物を汚して叱られた。昼から千日前の方で遊んで夜分8時頃に晩食をした、就床9時過ぎ。

1月9日(月曜日)

午後第一時急に先生お報告で第3学期組長選挙が行われた。結果は大略左のごとくあった。

服部(34票)大橋(32票)上山(32票)木村(25票)次点上田(5票)熊田(4票)

当日出席数36名(僕を除きて35名)

組長 服部良一  副組長大橋、上山、木村。

1月10日(火曜日)晴天

午前7時元勲大隈重信候逝去さる。

起床7時半就床8時半、学校から帰って後仕事を手伝った、7時頃から今宮の恵比寿様へ行く、恵美須町からは全部囲いがしてあった。往来はおすなおすなの雑踏ぶり、道の両側には大きなたき火をして飴を売っている、押されながらもようやく社前に来た。神に祈りを上げて時勢不景気の折から3銭上げた。難波の駅まで囲いがしてあって警官達は時々それこれと左側通行の宣伝を開始している、帰宅十時。

1月11日(水曜日)

今日午後1時から組長任命式が挙行された。第1に僕は校長の前に出て証書を頂いた、続いて高一、尋常科と順次証書授与が行われた。終日気が晴れ晴れとして心地が良かった。夜分は父に証書を見せて大変喜んで戴いた、就床は確か十時前だったかな 今日は昨日に比して大分暖かだった。

1月12日(木曜日)

起床6時半、9時前登校す、別に事無く3時帰宅す。親類の婆さまがこられた、そして10時頃まで遊んで11時頃帰宅された雪が降って大変寒い、おお寒むと思わず首をすくめて炬燵にすっこんだ。夜分姉さんに面白い話を聞いた。

1月13日(金曜日)

起床して登校す、正午より少しく頭痛の趣あり帰校して寝床に臥す夕食は戴かず午後9時迄睡眠す。目覚めてより薬を飲み眠につく。

1月14日(土曜日)

夕より少しく和やかにして頭痛は止めり早速登校す。折しも白雪の降るを見る。学校にて雪中運動の開始せらるるあり、白雪顔面を漏うして形を隠す。第1時より雪は益々降積せり運動場は雨の後の如くびっしょりとぬれ、渡る四方屋根は巨細の別なく白布を着す。庭の鉢木は皆綿の冠を戴く。斯くして終日降雪せり。嗚呼明朝は積雪するならんの予想に堪えない。

1月15日(日曜日)

自分は枕に手を掛けて首を延ばした。あたりは真暗だ真中の障子の隙間から清い雪が淡光を室に投げ入れて居る。折良く時計は5時を報じた独り又枕を引き寄せた。不知不識にうつうつすると「おいおい起きろ」と時計は9時を打った。はて雨かなそれれとも雪か雨戸では根気よく機織る音、黒い兵児帯三尺流しに庭先を眺むれば屋根は猫奴の喧嘩の後の如く所々に雪解けの痕を現している、びっくりしたように万年青の葉から雪が落ちる、雪解けはいやだなー、障子を開けて室に入る、正午から入り乱れて雨が降る陰気な一日だ僕は終日眠りについた今度目覚めたのは8時ころだった、9時頃からひどく頭をなやめた。

1月16日(月曜日)

起床して登校をした校庭は未だしめりがちだ。赤旗とは恐れ入った、今朝は先生のお顔が見えない様だ。1時間目は前田先生に道徳上の話を承った。2時間目も見えない、日頃一度も欠勤のない先生が今日は何事がおこったのかと一同不安の念を抱いている午後からはと思ったが矢っ張り出勤せられなかった。明日の憂を胸に留めて一同は下校した。夕方父は親類に寄られたとかお帰りが9時頃だった。今日から6年以上男子の有志者寒稽古を行う。

1月17日(火曜日)

夢から覚めて我は下の間におりた、奥では姉さんが何かの病で眠って居られる。昨日木村先生に承った江南遊記を今日から読み出した、矢っ張り興味がある。登校して午後は地理の考査が行われた。満足、満足僕は満点だった。帰宅して少時仕事を手伝う夕方より夜学に行く、先生が休まれたので1時間で授業終わり帰宅して湯に入って直ぐ寝床にすっこんだ。

1月18日(水曜日)

電気が消えてやっとして寝床を離れた。知らぬ間に雪が積もっている非常に痛快だ。学校にて第1時間目より生玉神社で写生と定まった行く途は足の先がちぎれそうだ。社内で僕は社頭を写生した。第3時読み方考査にも午後の算術考査にも満点だった、嬉しげに宅に戻る。用事の後写生画の彩色に掛かった余り長くなって母に叱られた。

1月19日(木曜日)明治27年以来大阪での一番寒い日、零下3度

午後先生から伊勢参宮を勧められた、荻谷善三郎と言う金満家が学校に寄付をせられ殆ど無賃で参宮が出来るとの事だ帰って母上に伺うと行って良いの承諾だ嬉しかった。僕は思わず「うまい」と叫んだ、連想して尋常科の折の参宮が思い浮かんだ。2時頃から次第次第に寒気が加わって風はびゅうびゅうとうなりを立てて吹きすさぶ夜は補修校を欠席した。夕食の後1時間ばかりして風勢は益々加わった。

注 <学校では常にトップの成績を修めながらも家計の苦しさを見ていた良一は進学を諦めざるを得なかった、小学5年からは新聞配達、高等科に進んでからは郵便局で臨時集配のアルバイト等もしている。学歴を身につけられないとしたら将来は商人としての成功しかないと思い定めたこの頃、夜の補修学校に通い商業英語やそろばんを学んでいた。>


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