|
最近、レコード界を震撼せしめたのはピンクレディーで、それこそちびっ子から老人に至るまでを夢中にさせ、
近年にない最高額の売れ行きを示して、昨年のレコードとテープの売上高は40億とも50億とも言われている。
51年8月に「ペッパー警部」でデビューして以来、昨年はレコード大賞の大衆賞を受け、NHK紅白歌合戦に
出場して、そのかれんな容姿と思い切った演技に着々と実力と人気を得て、「ウォンテッド」「UFO」と
次々にヒットし、この春にはラスベガス公演を予定して、世界のエンターティナーに挑戦しようと意気込んでいる。
このケイとミーという高校出が現在の最高人気タレントになったのには並々ならぬ苦労と努力があったようだ。
高校時代は二人とも演劇部に属して、専ら演劇を志望していたのが、途中からモダンバレーを習い、歌のレッスン
に通って、いろいろとコンテストやオーディションに合格して、ついにテレビ番組に出場して、多難なコースを
克服し今日の栄冠を獲得した。ピンクレディーの特徴は今までの歌手の出せなかった大胆なアクションと
リズミカルな曲想によるもので、ことに幼稚園・小学生の生徒がテレビの前で夢中になってアクションをまねて
歌いまくるのは我が家だけではないようだ。
去年のクリスマスプレゼントに孫娘から無理矢理にピンクレディーのサイン入りLP盤を頼まれた。
丁度、ビクターの新年宴会とヒット賞表彰に出席した折、ピンクレディーと一緒に記念写真を撮ってもらったが、
孫たちに見せると今までにない最高の賛辞を受けた。今や孫のためにはかくも単純な老人となるのかと我ながら
驚き悲しんだ。
例年日本レコード大賞の表彰式には主催日本作曲家協会を代表して、当夜はステージで各受賞者を表彰することに
なっているが、去年の暮れは大賞候補ベストテンと歌唱賞・大衆賞の歌手にそれぞれメダルを首にかけて握手を
する、そして最終的にグランプリと最優秀歌唱賞を決定して、大急ぎで家に帰ると車の気配で早くも孫娘たちが
玄関で待ち受けていて、突然に「おじいちゃま、どうかその手を洗わないで」とくつを脱ぐ間もあらばこそ、
飛び出して来て、ぼくの手を握りしめ、何回となく握手を求める。
たった今、テレビでぼくが、ピンクレディー・沢田研二・野口五郎などの受賞者と握手をしていたのを見ていて、
その手と間接的に握手することに満足して、「今夜は手を洗わない」と部屋中ハシャギ回っている。
歌謡ファンの心理とはこうしたものかと痛感した。
今や、テレビの画面によって、歌謡界の人気者の新旧が完全に塗り替えられた。
その昔、東海林太郎が直立不動の姿勢で「国境の町」「赤城の子守唄」を歌って国民のあこがれの的だった時代は、
あたかも日支事変の始まるころで、国民総動員の非常時だった。
それから戦争が終わって、すべてが自由になってからも、ステージの藤山一郎は模範的な折り目正しい態度で歌い、
女性でも淡谷のり子は泰然自若として微動だにゆるぎなきブルースの女王の貫禄で歌ってきた。
ところがここ数年来、フィンガーファイブ・キャンディーズ・フォーリーブスとアクションを伴うシンガーズが
多くなり、動きの少ないグループサウンズやヴォーカルグループは物足りなく、テレビ(画面)一杯に踊り歌う、
視覚聴覚の両面から楽しませてくれるタレントが、俄然トップや上位線にはい上がり、ついにピンクレディーの
黄金時代を迎えた。
かつて終戦直後、我が家では誕生パーティーを開いて子供たちに自家製の子供ミュージカルを演じさせてお客様に
見てもらったが、年月を経て現在では子供でなく孫たちが集まって家庭音楽会を開催するようになった。
我が家の「マゴ・コン」は9人(まだ有吉は生まれていないので。)専ら母親の特訓を受けて、曲目選定から演技・歌唱
の指導に至るまで、各家庭で秘策を練って必勝を期し、どの親も我が子にはうぬぼれと自信過剰のようである。
当夜の審査委員長はぼく、副委員長は長男の克久で、審査委員はそれぞれの出演者の両親が任命される。
どの親も我が子に対しては最高点を付けるので余り点差がなく、最終的には皆で話し合いの上でグランプリを決定
することにした。去年は最年少のチビがグランプリで今年はその次のチビに決定してはと主張する母親や、情実を
無視して孫の実力を認めてはと主張する正当派もあり、けんけんごうごうと委員長に迫ってくる。
親子の関係でもコンテストとなれば厳しいもので、PTAたちが真剣になる。
しかし、出場者の孫たちは明るく楽しそうで、ここ数回目にして、今年からは孫の年長者(隆之くんです。)が
入場・退場・ファンファーレのピアノを弾き、絵の上手な孫がポスター・プログラムの美術まで担当してくれた。
これは孫たちの自治制が徹底していて、お互いにいとこ同志でも年長者の命令は守られて個々の特徴を発揮している。
今年は特に、女児陣はピンクレディーの曲目が多くて、男児軍は沢田研二の「勝手にしやがれ」が圧倒的に多く
「あづさ2号」や「帰らない」のエントリーもあった。
一応、審査・発表が終わった段階で表彰式の前に孫の代表から、おじいちゃまに感謝状を差し上げたいと
言ってきた。レコード大賞・東京音楽祭と数々の表彰式にも出場したが孫たちから表彰をうけたのは初めてで、
感謝状
服部良一殿
あなたは毎年、楽しい音楽祭を開催し、自ら審査委員長をつとめ、
わたくしたちを批評し、賞を授与されたことに対して
感謝の意を表します。
昭和53年1月
孫一同
家族中の暖かい拍手の中で、孫から感謝状が授与された。
作曲生活50周年の行事の中で最高の栄誉ある表彰式であった。
(はっとりりょういち 作曲家・日本作曲家協会理事長)
|